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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)131号 判決 1992年12月16日

京都市右京区西院溝崎町21番地

原告

ローム株式会社

代表者代表取締役

佐藤研一郎

訴訟代理人弁理士

吉田研二

金山敏彦

東京都千代田区霞が関一丁目4番3号

被告

特許庁長官

麻生渡

指定代理人

東野好孝

藤田泰

長澤正夫

中村友之

主文

特許庁が、昭和60年審判第16488号事件について、平成3年3月22日にした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

主文と同旨

2  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和54年9月26日に出願した特許出願(特許願昭和54年第123556号)を原出願とする分割出願として、昭和58年1月10日、名称を「サーマルプリンタヘッド」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭58-2587号)が、昭和60年5月31日に拒絶査定を受けたので、同年8月9日、これに対し拒絶査定不服の審判を請求した。

特許庁は、これを昭和60年審判第16488号事件として審理し、本願出願は、昭和63年2月19日に出願公告(特公昭63-7953号)されたが、特許異議の申立てがあり、原告は、同年11月26日、特許法64条1項に基づく明細書の補正(以下「本件補正」という。)をしたところ、特許庁は、平成3年3月22日、本件補正を却下する旨の決定をするとともに、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をし、その謄本は、同年6月10日、原告に送達された。

2  本願発明の特許請求の範囲

(1)  出願公告時

基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長のガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の狭い抵抗発熱素子を形成してなるサーマルプリンタヘッド。

(2)  本件補正後

前記「幅より長い縦長のガラスグレーズ層」を「幅より長い縦長とされてあって、ひとつの山状をなすガラスグレーズ層」とする以外は(1)のとおりである。

3  本件審決及び補正却下決定の理由

本件審決及び補正却下決定の理由は、それぞれ、別紙審決書写し及び同補正却下決定書写しに記載のとおりであり、審決は、本件補正が実質上特許請求の範囲を変更するものであり却下されるべきであるとする補正却下決定を前提として、本願発明の要旨を出願公告に係る明細書及び図面(以下「公告時明細書」という。)の特許請求の範囲に記載されたとおりのものと認定し、この発明は、本願の原出願日前の他の出願である特願昭53-48882号の昭和54年10月31日に公開された特開昭54-140547号明細書及び図面(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)と実質上同一であるから、特許を受けることができないと判断した。

第3  争点

1  原告主張の審決取消事由の要点

本件補正は、明瞭でない記載の釈明に当たる補正であって、特許請求の範囲を実質的に変更するものではなく、当然に許容されるべきであるのに、これを却下した補正却下決定は、以下の理由により違法であり、同却下決定を前提とした本件審決には、補正前の公告時明細書の特許請求の範囲の記載に基づき本願発明の要旨を認定した違法がある。

(1)  ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とすることの意義につき、公告時明細書には、「前記のようにグレーズ層を印刷焼成したとき、その周縁に盛り上がり部が生ずるのであるが、このグリーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁の盛り上がり部はなくなって、単なるひとつの山状となる。このように形成されたグレーズ層の表面に抵抗発熱素子を設置すれば、既述のように盛り上がり部がプリントの際の邪魔になるようなことはなくなるのである。」と明確に記載されているのであるから、公告時明細書の特許請求の範囲に記載された「幅を2.5mm以下とするガラスグレーズ層」とは、もともと「ひとつの山状をなす」形状のものを意味することは明らかである。

すなわち、グレーズ層の幅を2.5mm以下にすることと、「ひとつの山状をなす」こととは、本来、原因と結果との関係にあり、両者は同義の内容を単に表裏いずれかから表現したものにすぎないのであるが、前者の限定のみでは本願発明が意図していない平坦状のグレーズ層を含むという解釈が生じてしまうため、本件補正は、このような解釈の誤解を避けるたあ、公告時明細書の特許請求の範囲に記載されたガラスグレーズ層に「ひとつの山状をなす」という限定を付し、本願発明の要旨を明確にしたものである。

しかも、上記「ひとつの山状」とは、左右周縁の盛り上がり部が互いに合体した結果のものであるから、本来、中央で盛り上がる形状となることは明らかである。したがって、本件補正が公告時明細書の発明の詳細な説明の欄における「単なるひとつの山状となる」との記載に、「幅方向の中央で盛り上がるような」との記載を付加した点は、公告時明細書の説明を何ら変更するものではない。

(2)  補正却下決定は、補正後の特許請求の範囲における「ひとつの山状をなすガラスグレーズ層」の意義について、「単に左右周縁に盛り上がりのないガラスグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘッドを得るというだけでなく、抵抗発熱素子と感熱紙とを確実に接触することにより、鮮明なプリントが可能な効果を有するように構成されたものと解される。」と認定し、一方、公告時明細書に記載された発明については、「ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁の盛り上がり部分をなくするだけのものに過ぎず、ガラスグレーズ層が中央で盛り上がるような山状の形状により抵抗素子と感熱紙とが確実に接触し、鮮明なプリントが確実となる効果については全く記載されていない。」、「このようなガラスグレーズ層を得るにはグレーズ層の幅が2.5mm以下であれば充分であって、その他の構成要件を付加する必要があるとは認められない。」として、そうであれば、補正された「ひとつの山状となす」ガラスグレーズ層は、公告時明細書及び図面に記載されたガラスグレーズ層に新たな効果を付加し、その構成を実質的に変更するものといわざるをえないと判断した。

しかしながら、公告時明細書に記載されたガラスグレーズ層は、もともと抵抗発熱素子と感熱紙とを確実に接触させ、鮮明なプリントを可能にすることを企図して、その妨げとなる左右周縁の盛り上がり部分をなくするようにしたものであって、しかも、その形状は上述したように、本来、幅方向の中央で盛り上がるひとつの山状のものであるから、補正後のガラスグレーズ層と、構成・作用効果において格別相違するものではない。したがって、補正却下決定における上記の判断は、公告時明細書に記載された本願発明のガラスグレーズ層の構成及び作用効果を誤認するものであって、誤りである。すなわち、ガラスグレーズ層が平坦である場合には、プリンタヘッドが感熱紙と接触する際、左右周縁の盛り上がりによる邪魔がないとしても、良好な印字品質を得るためには、グレーズ層表面の抵抗発熱素子を感熱紙と正しく平行状態に接触させる必要がある。これに対し、ガラスグレーズ層をひとつの山状とした場合には、実験結果から明らかなように、感熱紙に押し当てられる先端部が山状の曲面であるため、ヘッドが傾斜して感熱紙に当たったときにも、より確実な感熱紙との接触が得られるという利点を有する。補正前のグレーズ層は、この実験結果をもとに、本来、平坦状のグレーズ層を排除するものであったが、単に幅を2.5mm以下とするという限定のみでは、平坦状グレーズ層を含むと解釈される可能性があり、また、グレーズ層をひとつの山状とするためには実際上、その幅を2.5mm以下とする他にその厚みなどの条件を設定する必要があって幅の数値限定のみではグレーズ層の形状を正確に表現することができないことから、本件補正を行ったものである。

以上のとおり、補正却下決定は、「左右周縁に盛り上がり部分の存しないガラスグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘッドが得られる」という効果と「抵抗発熱素子と感熱紙とが確実に接触することにより、鮮明なプリントが可能」となるという効果とが別の効果であるとする誤った前提に立ち、本願発明の構成、効果が公告時明細書に何ら記載されておらず、本件補正が実質上特許請求の範囲を変更するものであると誤った判断をした違法がある。

2  被告の主張

以下のとおり、補正却下決定に原告主張の違法は存在せず、これを前提として、本願発明の要旨を公告時明細書に基づいて認定した審決に違法はない。

1(1) 公告時明細書に記載された本願発明は、プリントする際の抵抗発熱素子と感熱紙との接触の妨げとなるグレーズ層の左右周縁の盛り上がりをなくすことのみを目的とするものであって、特許請求の範囲の記載もこれに対応して、グレーズ層の構成について、単に「幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを幅より長い縦長」とすると規定しているだけで、グレーズ層の幅方向の中央で盛り上がる構成については、公告時明細書には図示もされていない。特に、発明の詳細な説明の「このグレーズ層の表面は極力平坦であることが必要である。ところが・・・そのペーストを基板表面に印刷して焼成すると、焼成後周縁が盛り上がり、中央の平坦部よりも10~15μ程厚くなることが知られている。このような盛り上がりが存在したままであると、プリントする際、この盛り上がり部分が邪魔して抵抗発熱素子と感熱紙とが接触しにくくなって鮮明なプリントができなくなる。・・・この発明は、プリントする際に邪魔となるグレーズ層の盛り上がり部のないサーマルプリンタヘッドを提供することを目的とする。」との記載によれば、公告時明細書の発明の詳細な説明中に記載されたグレーズ層が「単なるひとつの山状となる」とは、左右周縁に生ずる盛り上がり部分が合体により一体となって、盛り上がり部分をなくするだけのものであり、その形状は、「平坦状に近い単なる一つの山状」を意味するものに他ならない。

(2) 一方、本件補正は、特許請求の範囲に「ひとつの山状をなす」との限定を付するとともに、発明の詳細な説明の欄に「幅方向の中央で盛り上がるような」との記載を付加するものであるから、同補正後の特許請求の範囲におけるガラスグレーズ層は、「幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状」をなすものを意味することとなり、補正後の本願発明は、右構成により、感熱紙との接触の不具合を確実に解消することができ、中央で盛り上がるような山状のグレーズ層の存在により、鮮明なプリントが可能となるという公告時明細書に記載されていた効果とは別個の格別の効果を奏するものとなる。

しかしながら、このようにガラスグレーズ層を「幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状」とする構成、その目的及び効果については、公告時明細書には何ら記載されておらず、これを示唆するものもない。

(3) また、公告時明細書には、ガラスグレーズ層の幅が2.5mm以下の数値であれば、該グレーズ層の左右周縁の盛り上がり部が互いに合体して一体となることが開示されているに止まり、該グレーズ層の幅の変化によって、グレーズ層の表面はどのように変化するか、その厚みはどうなるか等の実験例ないし比較例、更にはその断面形状すら図示されていないことからすると、同明細書には、グレーズ層を幅方向の中央で盛り上がるような山状の形状とする構成によって、感熱紙との接触の不具合を確実に解消するとの技術思想は全く記載がなかったものといわざるをえない。

(4) 原告は、公告時明細書に記載されたガラスグレーズ層は、本来、幅方向の中央で盛り上がるひとつの山状をなすもので、平坦状のものは意図しておらず、本件補正はこの点を明確にするものであると主張する。

しかしながら、同発明におけるガラスグレーズ層の形状は上記のとおり、「平坦状に近い単なるひとつの山状」をなすものであり、原告主張のように解せないことは上述したところから明らかであるから、本件補正は、特許請求の範囲に限定を付加する点で、形式的にはこれを減縮するものではあるが、実質的には特許発明の構成、目的及び効果を補正前のそれと別異のものとする点で、実質上特許請求の範囲を変更するものといわざるをえない。

2  以上のとおり、本件補正は、実質上公告時明細書の特許請求の範囲を変更するものであって、却下されるべきであるから、本願発明の特許請求の範囲は、公告時明細書に記載されたとおりのサーマルプリンタヘッドにあるものと認めるのが相当である。

これに対し、引用例には、ガラスグレーズ層の幅を1mm~2mmに限定したサーマルヘッドが開示され、本願発明の構成要件であるガラスグレーズ層の幅が2.5mm以下であるものを包含し、しかも、そのグレーズ層は十分均一に形成されているから、結局、本願発明は、引用例発明と同一であると認められる。

したがって、本願発明は、引用例発明と同一であるから、特許を受けることができないものであり、この旨の判断をした本件審決に何らの違法はない。

第4  証拠

本件記録中の書証目録を引用する(書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。)。

第5  当裁判所の判断

1  本願発明によるガラスグレーズ層の構成につき、公告時の特許請求の範囲には、「幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長」とするとの記載があること、本件補正が同記載の「縦長」の次に、「とされてあって、ひとつの山状をなす」との記載を付加するとともに、発明の詳細な説明中、「単なるひとつの山状となる。」の前に「幅方向の中央で盛り上がるような」との記載を追加するものであることは当事者間に争いがなく、本件補正が特許請求の範囲を形式的に減縮するものであることは、被告もこれを認めるところである。

そこで、本件補正が公告時明細書に記載された特許請求の範囲を実質上変更するものであるかどうかを検討する。

甲第3号証によれば、公告時明細書には、発明の詳細な説明の欄に以下の記載があることが認められる。

(1)  発明の目的

「この発明はサーマルプリンタヘッドに関する。この種ヘッドにおいて、高熱伝導性の基板の表面一部分にガラスグレーズ層を形成し、このグレーズ層の表面に抵抗発熱素子を一列に或いは多行多列に並べて配置する構成はよく知られている。ところで前記グレーズ層の形成は厚膜印刷と同じ印刷法を使用するのが普通であるが、このグレーズ層の表面は極力平坦であることが必要である。ところが前述したように基板の表面にグレーズ層を形成するべく、そのペーストを基板表面に印刷して焼成すると、焼成後周縁が盛り上がり、中央の平坦部よりも10~15μ程厚くなることが知られている。このような盛り上がりが存在したままであると、プリントする際、この盛り上がり部分が邪魔して抵抗発熱素子と感熱紙とが接触しにくくなって鮮明なプリントができなくなる。これを確実に接触させようとするにはヘッドの感熱紙に対する押圧力を高めなければならない。

この発明はプリントする際に邪魔となるグレーズ層の盛り上がり部のないサーマルプリンタヘッドを提供することを目的とする。」(同1欄9行ないし2欄4行)

(2)  構成

「この発明はグレーズ層として縦長とし、その幅を2.5mm以下となるように構成したことを特徴とする。

前記のようにグレーズ層を印刷焼成したとき、その周縁に盛り上がり部が生ずるのであるが、このグレーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁の盛り上がり部分はなくなって、単なるひとつの山状となる。このように形成されたグレーズ層の表面に抵抗発熱素子を設置すれば、既述のように盛り上がり部がプリントの際邪魔になるようなことはなくなるのである。」(同2欄5~17行)

(3)  発明の効果

「この発明にしたがい、グレーズ層2はその幅を2.5mm以下にしてある。このようにグレーズ層2をその幅が2.5mm以下となるように設置すれば、その左右周縁には何ら盛り上がり部が生じることはなくなり、したがってプリントの際、邪魔になることはない。」(同3欄2~7行)

「この発明によれば、グレーズ層の形成の際に生ずる盛り上がり部分をその左右周縁において、存在しないグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘッドが得られる効果を奏する。」(同4欄26~30行)

2  上記事実によれば、公告時明細書には、ペーストの印刷焼成によって生ずるガラスグレーズ層の左右周縁部の盛り上がりをなくすることによって、ガラスグレーズ層の表面に設置される抵抗発熱素子と感熱紙との良好な接触と鮮明なプリントが得られるサーマルプリンタヘッドを提供することを目的とし、ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とする構成によって、左右周縁部に生ずる盛り上がりを互いに合体・一体化させ、もって単なるひとつの山状をなすような形状のガラスグレーズ層を形成することを構成要素とすることが記載されている反面、「単なるひとつの山状」の具体的形状、ガラスグレーズ層の表面に対する盛り上がりの有無及び程度等については何らの記載がないことが認められる。

そこで、「単なるひとつの山状」の意味するところを検討すると、上記1(2)の記載によれば、「単なるひとつの山状」となるのは、ガラスグレーズ層の左右周縁の盛り上がりが一体化した結果であるというのであるから、上記山状とは、ガラスグレーズ層の幅方向の断面形状を指すことは明らかであり、また、その山状の形成が「左右周縁部が互いに合体」した結果であるというのであるから、通常の場合、「幅方向の中央で」合体するであろうことは当然に推測されるところである。そして、これら左右周縁部の幅方向中央での合体の結果、ガラスグレーズ層の断面形状が「ひとつの山状」をなすというのであるから、ガラスグレーズ層の中央部付近が両端部に比較して盛り上がった形状となることは、「山状」の通常の字義からして認められるところといってよい。

そうすると、公告時明細書には、「ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とすることによって、ガラスグレーズ層の左右周縁部を幅方向の中央で合体させ、両端部よりも中央で盛り上がった形状となるガラスグレーズ層」についての記載があるものと認めることができる。

3  被告は、公告時明細書には、専ら、印刷時に邪魔になる左右周縁部に生ずる盛り上がり部をなくし、「極力平坦なガラスグレーズ層」を提供するとの記載があるに止まるから、公告時明細書の「単なるひとつの山状」なる形状も、ガラスグレーズ層の左右周縁の盛り上がり部をなくしただけのもの、すなわち「平坦状に近いひとつの山状」であると主張する。

確かに、上記1(1)の記載によれば、本願発明において幅方向の中央に生ずるとされる「単なるひとつの山状」の形状は、左右周縁部(上記1(2)の記載によれば、焼成時に形成される長さは10ないし15μであるとされる。)の盛り上がり部が互いに合体したものというのであり、これにより生ずる盛り上がりも極めて微小なものにすぎないことが合理的に推認される。

しかしながら、このことは、公告時明細書に記載された従来技術の技術課題であり、該当部分の記載から本願発明の技術課題でもあると認められる左右周縁の盛り上がりをなくした「極力平坦な」ガラスグレーズ層の形状についてもいえる事柄であって、「極力平坦な」形状の中には、被告の主張する形状、すなわち上端面の形状が直線的な形状のみならず、原告の主張するいわゆる凸形形状であっても、極めて緩やかな傾斜を有するものも含まれると解され、「極力平坦」との語句から、直ちに原告の主張するような形状を除外しているとまで解することはできないものといわなければならない。

そして、上記のとおり、幅を2.5mm以下とすることによって、ガラスグレーズ層の形状は、必然的に左右周縁の盛り上がり部が合体して一体となり、単なるひとつの山状となるという以上、原告が本願発明によって達成しようとした「極力平坦」なガラスグレーズ層は、極力平坦でありながら、なお、その中央部で凸形形状を呈すること、すなわち、極めて緩やかな傾斜を有する凸形形状となるものであることは、上記認定のとおりである。

このことは、甲第6号証の1、2によって認められる昭和62年7月2日付け特許庁審判官の尋問書の「(4)原出願の明細書詳細な説明の項における『グレーズ層2の幅をこの程度にすればその左右周縁は中央の平坦部と同じ厚みとなるが、グレーズ層2の長さを2.5mm以下にすることができないと、その上下の周縁に図のような盛り上がり部2Aを形成されるようになる。』との記載は、グレーズ層の幅及び高さの関係を示すものと思われるが具体的にはどのような盛り上がりが生じるものか参考図を添付して明確に説明されたい。」との尋問に対し、原告が同年9月25日の回答書において、「ガラスグレーズ層の幅(長さ)と表面形状との関係は、幅が十分に広いときは、中央は平坦な表面となり、その両端部が盛り上がった形状となる。この幅を次第に狭くしていくと、やがて両端の盛り上がり部分の裾が接近していき、両盛り上がり部分が中央の平坦部を両側からはさむような形状となる。

さらに幅をせばめていくと、両端の盛り上がり部分はやがて一体となり、中央が盛り上がった高原状の表面形状を形成する。そのときの幅が2.5mmである。以上の現象を図示したのが添付した参考図である。図においてW1~3はガラスグレーズ層の幅を、dは盛り上がり部分Mと中央の平坦部との段差を示す。

ガラスグレーズ層の幅を図の(3)の状態から(1)の状態に徐々に狭くしていくと、両盛り上がり部分は次第に接近していく。そして最後には(1)に示すように両盛り上がり部分は合体する。このときの幅Wが2.5mmである。」と回答し、参考図の(1)において円弧状ないし半円状のガラスグレーズ層の形状を模式的に図示していること、甲第8ないし第10号証によれば、昭和54年4月作成にかかる製品名SAG-310セラミック基盤単品図には、幅が3mmのガラスグレーズ層(厚さ0.04ミリメートル)の断面図として、左右両端に0.01mm以下ではあるが、盛り上がり部が明示されている一方、同時期に作成されたSAG-309セラミック基盤単品図には、幅1mmのガラスグレーズ層の断面図として、中央部が盛り上がり、左右周縁部に盛り上がりのない緩やかな山形が図示されていること及び同年6月本願発明者の一人である巽豊作成の「KH309評価報告」においても、部分グレーズの形状がなだらかな凸形形状となっている顕微鏡写真(ただし、ガラスグレーズ層の幅は不明である。)と、これを前提とした各種実験結果が報告されていることからも明白である。

これらの事実によれば、原告は、グレーズ層の幅を2.5mm以下とすることによって、左右周縁部が幅方向の中央で互いに合体・一体化し、ガラスグレーズ層が中央で盛り上がる形状となることを認識したうえ、この構成を採用することによって、印刷時に邪魔になる左右周縁の盛り上がり部分をなくすという技術思想に立つ本願発明を想到したものと認められる。

4  被告は、補正却下決定が「補正された特許請求の範囲における『ひとつの山状をなす』ガラスグレーズ層は、単にグレーズ層の形成の際に生ずる盛り上がり部分をその左右周縁において存在しないグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘッドが得られる効果を奏するだけではなく、抵抗発熱素子と感熱紙とが確実に接触することにより、鮮明なプリントが可能な効果を有するよう構成されたものであると解される。」と述べたところをふえんして、幅方向の中央で盛り上がる山状をなすガラスグレーズ層とは、その山状の曲面の故に、プリンタヘッドが傾斜して感熱紙と当たったときにも、より確実な接触が得られるという効果を奏するに足りる程度の盛り上がり形状のもの、すなわち、感熱紙に対するヘッドの傾斜接触を許容しうるような有意の中央部の盛り上がり形状を有するガラスグレーズ層を意味するとし、このような形状を呈するプリンタヘッドは、極力平坦なガラスグレーズ層によってもたらされる効果とは全く別個の新たな効果を奏するものであるところ、本願発明の公告時明細書には、上記のとおり、極力平坦なガラスグレーズ層を提供するため、左右周縁の盛り上がり部をなくするだけのものであるから、ガラスグレーズ層の中央部凸型形状を利用する思想について、何らの記載も示唆もないと主張する。

確かに、本願発明の公告時明細書には、前記のとおり、ガラスグレーズ層の中央部での盛り上がりの有無及び程度について明示の記載がなく、したがって、プリンタヘッドの凸形形状によって、感熱紙に対し傾斜接触しても良好なプリントが得られるという効果については明示の記載がないことは被告主張のとおりである。

しかしながら、公告時明細書の記載を合理的に解釈すれば、本願発明のガラスグレーズ層の形状が、極めて緩やかな傾斜を有しつつも幅方向の中央で盛り上がるような凸形形状を意味すること前叙のとおりである以上、このプリンタヘッドの凸形形状により、ヘッドが傾斜して感熱紙に当たったときにも、ヘッドが真の意味で平坦である場合に比較して、より確実な感熱紙との接触が得られる効果を奏することは、前示巽豊作成の「KH309評価報告」(甲第10号証)の実験結果の記載及び技術常識に照らして明らかである。そうすれば、この効果は、公告時明細書の特許請求の範囲に示された本願発明が有する効果というべきであり、それは、上記1(1)、(3)の公告時明細書に記載された本願発明の左右周縁の盛り上がり部をなくし、抵抗発熱素子と感熱紙との良好な接触及び鮮明なプリントを可能にするとの効果の一態様として、公告時明細書から、当業者が当然に理解できるものと考えられる。

そうすると、平坦なガラスグレーズ層によってもたらされる効果と凸形形状を有するガラスグレーズ層によってもたらされる効果が実質的に異なる技術思想に立つものであるとの理解を前提にして、公告時明細書には前者の技術思想だけが記載されているにすぎないとする被告の主張は、理由がなく、採用することができない。

5  以上のとおり、本件補正は、公告時明細書の開示したところに基づき、前示のとおり、特許請求の範囲を減縮したものであり、これによって実質的に特許請求の範囲の変更をもたらすものではないから、特許法64条により、許容されるべきものである。

これと異なる前提に立って、本件補正を却下した補正却下決定は違法であり、同決定に基づき、本願発明の要旨を公告時明細書記載のものと認定した審決も違法として取り消されるべきである。

よって、原告の本訴請求を理由があるものとして認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 三代川俊一郎)

昭和60年審判第16488号

審決

京都市右京区西院溝崎町21番地

請求人 ローム株式会社

京都府京都市西京区川島松園町73

代理人弁理士 中沢謹之助

昭和58年特許願第2587号「サーマルプリンタヘッド」拒絶査定に対する審判事件(昭和63年2月19日出願公告、特公昭63-7953)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

昭和60年審判第16488号

補正の却下の決定

請求人 ローム株式会社

代理人弁理士 中沢謹之助

昭和58年特許願第2587号「サーマルプリンタヘッド」拒絶査定に対する審判事件について,次のとおり決定する。

結論

昭和63年11月26日付けの手続補正を却下する。

理由

Ⅰ.本願は、昭和54年9月26日に出願された特願昭54-123556の特許出願の一部を特許法第44条第1項の規定により分割して新たな特許出願として昭和58年1月10日に出願されたものであって、その発明の要旨は、出願公告された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める「基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長のガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の狭い抵抗発熱素子を形成してなるサーマルプリンタヘッド。」

なお、昭和63年11月26日付手続補正は、当審における補正却下の決定により却下された。

Ⅱ.これに対して、特許異議申立人田中恵は、甲第1号証として、本願の出願日前の出願であって、その出願後に出願公開された特願昭53-48882号(特開昭54-140547号公報参照)の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下、「先願明細書」という。)を提示し、本願発明は先願明細書に記載された発明と実質上同一であるから、特許法第29条の2の規定に該当し、拒絶されるべきものであると主張している。

Ⅲ.そこで、上記異議申立人の主張について検討する。

先願明細書には、絶縁性のAl2O3基板1上の薄膜抵抗体を形成しようとする領域部分のみにガラス層11が帯状に形成され、該ガラス層11を横断してAl2O3基板1およびそのガラス層11上に複数本の薄膜抵抗体12が配列されて形成され、この場合、ガラス層11の幅は1mm~2mm程度で良いためガラス層11が薄くても充分均一なガラス層11を形成することができる旨、また基板上に設ける帯状のガラス層を厚膜技術(ガラスペーストを印刷し、焼付ける技術)により形成する旨、さらに第3図に発熱部A(一対の電極13間に位置する薄膜抵抗体の部分)の幅をガラス層11の幅より狭くする旨のサーマルヘッドが開示されている。

そして、本願発明と先願明細書に記載されたものとを対比すると、両者は、基板の表面に、縦長のガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の狭い抵抗発熱素子を形成したサーマルプリンタヘッドの基本的構成で一致し、僅かに縦長のグレーズ層の幅の数値が、本願が2.5mm以下であるのに対し、引用例が1mm~2mmと限定している点で相違している。

上記相違点を検討するに、本願発明は、グレーズ層の形成の際に生ずる盛り上がり部分をその左右周縁において存在しないサーマルプリンタヘッドを得るために、グレーズ層の幅を2.5mm以下となるように設置したもので、その下限値を特定してないことからも、先願明細書のグレーズ層の幅1mm~2mmを包含しており、しかも、該グレーズ層も充分均一に形成されているので、この点に格別の差異は認められない。

してみると、本願発明は先願明細書に記載のものと実質的な相違がなく、両者は同一というべきである。

Ⅳ.以上のとおりであるから、本願発明は、先願明細書に記載された発明と同一であり、しかも、本願の発明者が上記先願明細書に記載された発明の発明者と同一であるとも、また、本願の出願の時に、その出願人が上記他の出願人と同一であるとも認められないので、本願発明は、特許法第29条の2の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成3年3月22日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

理由

Ⅰ.本件手続補正書は、出願公告後、特許異議申立に対する答弁書の提出と同時になされたもので、その補正の内容は、特許請求の範囲を、「基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長とされてあって、ひとつの山状をなすガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の狭い抵抗発熱素子を形成してなるサーマルプリンタヘッド。」と補正すると共に、それに対応して詳細な説明の項における「単なるひとつの山状となる。」(明細書第2頁第18行~19行、公告公報右欄第13行~14行)を「幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状となる。」と補正している。

そして、ガラスのグレーズ層がひとつの山状をなすことにより、答弁書において、「周縁に盛り上がり部分を持たないグレーズ層が形成されるようになり、したがってこのような盛り上がり部分の存在による抵抗発熱素子と感熱紙とが確実に接触するようになる。これによって鮮明なプリントが可能となる。これに対し引用発明は、表面を平担とするガラス層を形成したものにとどまり、本願発明のような中央で盛り上がるような山状のガラスグレーズ層を備えていない。(略)したがってこのような盛り上がりを不存在とすることにより、プリントの鮮明化を期待するものではない。」(答弁書第3頁第6行~19行)と主張している。

これらの事情を勘案すれば、補正された特許請求の範囲における「ひとつの山状をなす」ガラスグレーズ層は、単にグレーズ層の形成の際に生ずる盛り上がり部分をその左右周縁において、存在しないグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘッドが得られる効果を奏するだけではなく、抵抗発熱素子と感熱紙とが確実に接触することにより、鮮明なプリントが可能な効果を有するよう構成されたものであると解される。

Ⅱ.これに対し、出願公告された明細書及び図面では、「グレーズ層」について、特許請求の範囲には、「幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長」と記載され、発明の詳細な説明の項には、「グレーズ層2はその幅を2.5mm以下としてある。このようにグレーズ層2をその幅が2.5mm以下となるように設置すれば、その左右周縁には何ら盛り上がり部が生じることはなくなり、したがってプリントの際、邪魔になることはない。」と説明されている。これによれば、ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下にすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁の盛り上がり部分をなくするだけのものに過ぎず、ガラスグレーズ層が中央で盛り上がるような山状の形状により抵抗素子と感熱紙とが確実に接触し、鮮明なプリントが確実となる効果については全く記載されていない。

また、出願公告された明細書及び図面に記載の本願発明の目的・効果を達成する限りにおいては、ガラスグレーズ層の幅が2.5mm以下であれば充分であって、その他の構成要件を付加する必要があるとは認められない。

してみれば、補正された「ひとつの山状となす」ガラスグレーズ層は、出願公告された明細書及び図面に記載のガラスグレーズ層に新たな効果を付加し、その構成を実質的に変更するものといわざるを得ない。

Ⅲ.以上のとおりであるから、本件手続補正は、実質上特許請求の範囲を変更するものであって、特許法第64条第2項で準用する同法第126条第2項の規定に違反するので、特許法第159条第1項により準用される同法第54条第1項の規定によって却下すべきものである。

よって、結論のとおり決定する。

平成3年3月22日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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